テレジン通信:2011年6月

テレジンを語りつぐ会の皆さまへ 2011.6.6

梅雨の晴れ間のさわやかな日曜日と思っていましたら、夜、いきなり激しい雨の音にびっくりしました。お変わりなくお過ごしでしょうか。

 

6月3日、石巻の友人が上京、お話をしてきました。石巻~仙台を結ぶ仙石線はまだ一部しか開通していないので、仙台に出るまでがまだ大変です。

「あそこにいたから助かったとか、向うは安全だったとか言うけど、それは違うね、今度の津波の被害は、助かったのは本当に運と偶然だよ」と話し始めてくださった首藤さんでした。

市内の日和山という小高い丘の途中にある自宅は、たしかに津波は届かなかったけれど、焼失の危険もあったのだそうです。家のすぐ下までは水が来て、より高いところに避難、雪が降り、寒さと恐怖に震えながら見た光景は、波にもまれながら流されていく家や車が燃えていたのだそうです。水と炎、「本当に地獄だった」という言葉は胸に迫りました。波にはさらわれなかったけれど、焼けてしまったかも……

翌朝、なかば諦めの気持ちで戻ったら家があったのです。風の向きが違っていたらダメだった、小高い場所にありながら延焼した家を見て、本当に運と偶然に恵まれたのだと実感したそうです。

「助かった人もみな同じ」と彼は言います。「あの時、どこにいたか、すぐに動けたか……1秒差、1メートル差で、生死が分かれてしまった」のです。

街中にいた首藤さんは、揺れがおさまった後、幸いタクシーを拾うことができ帰宅しようとした途中で、歩いている老人を見つけ、タクシーに乗せてあげたのだそうです。その人を送るために回り道をしているうちに津波警報が鳴り響いたのですが、老人に出会った場所はもちろん、そこから真っ直ぐ家に向かう道は、直後に津波にのまれたというのです。

これまでにも何度も津波警報を経験している石巻では、どこかで「オオカミ少年」になっていたとも彼は言います。始終警報が出るけど、さいぜい10センチ、20センチ、水位が上がったという程度だったので、楽観視していた面もあったようです。

今回の被害は、地震そのものではなく、津波によるもので、その証拠に、死亡者のほとんどが水死、溺死、阪神大震災では圧死が多かったのと大きく違っています。


以前、お便りで「市立大川小学校へ行く予定」と書きましたが、話し合いの結果、それは中止します。

生徒の7割が亡くなった学校のことは、最近、新聞やテレビでも大きく報じられています。学校の対応に問題があったのではないかと、犠牲になった子どもたちの親は責任を追及しようとしているようです。助かっている校長先生のこと、亡くなった昨年新任で来たばかりの先生のこと、助かった子どもたちのこと……

まさに、運と偶然がみんなの生死を分けてしまったのですが、どうしようもない、亡くなった方の遺族の気持ちは分かるけれど、判断や努力でも不可能だったことがあるのだと思う話をお聞きしましたが、これは、公開しないほうが良いかと思いますので、会合の時にお話します。

いずれにしても、他の小学校を紹介していただきました。石巻市内から少し離れているために、支援者があまり来てくれていないという学校です。近日中に詳細が決まりしだい、皆さまにご報告し、どういう形で行くことが望ましいのかご相談したいと思っています。


支援金は、

5月5日のコンサート会場での 47,000円

その後個人的にいただいたもの 13,000円

九州テレジンの会から 10,000円

友人が主宰する俳句の会「山麓」から 50,000円 

合計 120,000円が集まっています。

 

画用紙やクレヨンは、できれば企業から協賛していただけないか、今、交渉を進めています。

ご協力いただけそうな企業がありましたらご紹介ください。
私の新しい本を出版する偕成社から、「エリック・カール」の絵本など2セット、前田優光さんから絵本「愉しくなくちゃ絵ではない」をいただきました。

それぞれ、いろいろのところで既に支援金を出したという方が多いとは思いますが、

ぜひ、支援金をお願いしたいと思います。

 

【振込先】みずほ銀行 大宮支店(普通)1840746  テレジンを語りつぐ会 代表 野村路子

 

新しいホームページはご覧いただけましたでしょうか。

次々と新しいニュースを更新し、写真も掲載しています。ぜひご覧になって感想などお聞かせください。