朗読と歌によるコンサート 『テレジン もう蝶々はいない』
コンサートの始まりは、1995年夏、東京・銀座教会での展覧会のときでした。
以前から、野村は、テレジンの子どもたちの遺した詩を翻訳して、子どもたちの詩集を出版したいと考えていました。
子どもたちの素晴らしい感性、繊細な感情、そして、時には、大人の書く象徴詩のように、まるで自分の運命を予知するような言葉・・・
詩は、絵と同様に子どもたちの才能を感じさせるものが多くあります。
「小さな画家たち」といっしょに、「小さな詩人たち」にも、たくさんの人が目を向けて欲しいと思ったのです。
そんな時、古くからの友人であり、展覧会開催を応援してくれていた松村黎さんと、テレジンの子どもたちのことをもっと多くの人に知っていただくために展覧会以外に何かできないかという話をしました。そして、共通の友人であり、それまでにも何度も一緒にイベントをやっていたギタリスト・中村ヨシミツさんと話し合い、子どもたちの詩を歌にしようということになったのです。
『庭』という短い詩、私がはじめてプラハで手にしたフランス語のパンフレットに載っていた、たった数行の詩<Petit jardin>。petit garcon plus ne sera…という1行が悲しくて、訳しながら泣いた思い出の詩。それを少し手直しして中村さんに渡しました。素敵な歌ができました!
さらに、もう一つ 『蝶々』にも曲がついて、私の講演会のなかでミニコンサートを開いたのです。
「もう一度、歌ってください」というアンコールがあり、西山琴恵さんは、繰り返し2曲を歌うというコンサートでした。
その好評に応えて、いくつかの詩に曲がつき、さらに、私に、テレジンの街を歩いているときの思い、プラハの街で感じた悲しい歴史など、いくつかのオリジナルの詩を書き、それが歌になりました。
西山さんのほかに、特別出演で、夏木マリさんがポーランドの反戦歌を歌ったり、香川有美さんの歌が入ったり、ギターのほかに、ヴァイオリンの平松加奈さんが入り、時にはパーカッションやフルートが加わるなどさまざまなバージョンが生まれ、朗読も、男女二人の役者が演じたり、地方公演では、地元の役者やアナウンサーが受け持ったり・・・10年以上がたって、やっと一つの形が出来上がってきました。
現在は歌を西山琴恵・三原ミユキ、ギターを全曲の作曲をした中村ヨシミツ、朗読を丸山詠二、解説・野村路子というのが定着しています。
ただし、地方の主催者からの要請で、作者の野村が、朗読ではなくお話しをしながら歌をつなぐという形も続いています。
会場の規模などに合せて、さまざまな形を作れます。ぜひ、あなたの街で、このコンサートを開催してください。
2001年には、野村が度々訪れているテレジン市の市長さんとの話の中から、収容所だった街・テレジンでのコンサートが実現し、前日には、プラハの日本大使館でも上演しました。
プラハに住むヘルガさん、ラーヤさんにお知らせしておいたところ、彼女たちからの連絡で、イスラエル、アメリカからも、数少ない生き残りの方たちが見に来てくださいました。
「言葉は分からないけれど、貴方たちの演じているものが、私たちの気持ちをきちんと伝えていることが良くわかりました。ありがとう」
と、彼女たちは涙を拭いながら、私たちに握手を求めてくださいました。
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