テレジンの子どもたちに寄せる歌

昨年、福岡での展覧会・講演会のことはお知らせしました。

テレジンの子どもたちと動くたびに、いつもたくさんの素敵な出会いがあります……それは、本当に不思議なくらいで、どこへ行っても「あら~!」「わ~!」なんて大人げなく大騒ぎをしたくなるほど、再会やめぐり会いがあるのです。前の福岡のときは、以前、さいたま家庭裁判所(私は調停委員をしていました)で裁判官をなさっていた坂梨喬さん、退官なさって、今は西南学院法科大学院の教授、大学構内に貼ってあったポスターを見て講演会に来てくださいました。昨年は、シャンソン歌手の荒木陽一さん、テレジンのコンサートに朗読で参加していた矢野元美さんに会えました。懐かしいお二人、ずっとテレジンのことを見守ってくださった人です。

でも、このときは、もっと驚く出会いが―。

 

講演会の前夜の懇親会でお会いした夏野いづみさん、10年以上前に、テレジンの展覧会で私の話を聞いているというのです。東京の田無市……それは、もう200か所以上で開いている展覧会の中でも、私にとって忘れられないものの一つでした。

突然お電話で「テレジンの展覧会をやらせてください」と言ってきたのは、遠藤さんという女性でした。「葬式の費用にと思って少し貯金をしていました、それを使ってもいいと子どもたちにも許可をもらいました。やらせてください」というのです。

早速、当時の大宮の事務所を訪ねてきてくださった遠藤さんは80歳を越した白髪のおばあちゃまでした。私の本を読んで、「子どもたちがこの世に生きた証の絵、私も、生きた証にひとついいことをしたい、この展覧会をやりたい」と思ったと熱心に話してくださいました。

新聞社の支局を通じて、協力者を求め、嬉しいことに若者をはじめ何人もの仲間が集まり、田無市市民会館で展覧会と、私の講演会が開かれました……遠藤さんが亡くなったのは、それから二か月しか経ていないときでした。

 

当時、障害を持つお嬢さんを抱えて頑張っていた夏野さんは、そこで絵を見、私の話を聞いたというのです。そのときの感激を、彼女はいくつかの短歌にして発表していました。 

その短歌を読んで、テレジン展の最初の年、横浜店でお会いした歌人のことを思い出しました。穴沢芳江さん、彼女も、絵を見た感想、子どもたちへの思いを歌にして発表してくださっています。お二人の作品を、皆さまにも読んでいただきたいと思い、ここに掲載します。

野村路子語るテレジンの収容所一万五千人の幼らの無惨

幼らの生死も労働に分かつなるテレジンはアウシュヴィッツへの門

亡命を拒みてナチスに捕らわれしディッカー先生若き日バウハウスに学ぶ

子とめぐるテレジン収容所の絵画展鎖のごとき重き心に

子らの絵に書き添えらるる子らの名とアウシュヴィッツに送られし日と

花の野に蝶高く飛ぶ絵の多し蝶は人より大きく描かれて

団らんの絵の片隅に番号のつけられし収容所のベッドが並ぶ

セーターをほどきし毛糸にて描きたる赤き花ドイツ軍の書類の上に咲く

 

夏野 いづみ 

(『未来』一九九一年一月号 近藤芳美選二十人集より)

 

 

「テレジン収容所の幼い画家たち展」

忘れやすきわが目は見入るアウシュヴィッツよりかえらぬ子らの絵四千枚

一日(ひとひ)一日生き難くゐし子らゑがく勢いよく回るその観覧車

絵の中にめぐりやまざる観覧車止まることなきこの観覧車

黒く細き線に描(か)かれしメリーゴーラウンド振り払ひふり払ひて廻る

サーカスのピエロもけものも等しかる目に見つめをり一つ出口を

闇の夜の道太ぶとと絵に徹る帰路のみをこそ思ひゐしらむ

 

 

穴沢芳江 

(短歌新聞社刊『響り会ふ』より)