西南学院中学校での展示会・感想文

西南学院中学1年生

「自由」とは、幸せだと思いました。私は、とても仕合せなんだと思いました。

 

 

≪西南学院中学3年生≫ 

私と同じくらいの子どもや、もっともっと小さい子どもが、絶望の中で絵を描くという少しの楽しみによって僅かな望みを持っていた事に感動しました。

私が印象に残った絵は材料がなくなったため、自分の髪の毛を使って絵を完成させようとしていた子どもの絵です。その子は亡くなったので、この世には髪の毛だけが残ったと言う文にとても心が痛みました。 

 

 

檻の中にいても、夢を見て希望を持っている子どもたちの心の強さが、様々なたくさんの絵から伝わってきました。

 

 

暗い絵を描いていたのかと思っていたら、ちょうちょうや野原など明るい絵が多くて驚きました。そして絵を描く子どもたちの為に、紙を集めたり毛糸をあげた大人がいると知り、いい人たちだと思いました。 

 

 

精神的、肉体的にも追いつめられた人間が描く絵とは、とても思えませんでした。夢を最後まで見続け、希望の光を人生をかけて探し続けた人々の心はとても奇麗で悲しかったです。

アウシュヴィッツで亡くなった多くの人々が、安らかな眠りにつける様に、もう悲しく酷い歴史を繰り返さないことを願います。 

 

 

あのような環境で、希望を捨てずに絵など描いた子どもたちは素晴らしいけど、そのような環境を作った人たちが、とても素晴らしいと思った。自分もそのような人になれるよう努力したい。 

 

 

あまりアウシュヴィッツもテレジンも知らない事が多かった。けれどテレジンで収容されていた子どもたちは、何も知らされないままアウシュヴィッツに送られ処刑されていたと聞いて悲しく思いました。 

 

 

私たちより小さい子たちが、苦しい事があったにもかかわらず、明るい絵を描いている人がいたこと。でも、一人は明るい絵を描こうとしなかった。どれほど辛い事があったか、本当にあったことと思えませんでした。またフリードルさんも収容されてしまって辛いと思うのに、子どもたちのことを考えているのが凄いと思いました。私はこのテレジン収容所にいって亡くなった人の分、生きてあげたいと思いました。 

 

 

私たちよりも小さい子どもばかりで、とても胸が痛くなった。絵に描かれていた楽しかった思い出を見て、辛い中、楽しかったことを思いだしていたんだなと考えると悲しくなった。 

 

 

“そういう時代だったのだ”と時代のせいにして、過去のことだと考えてはいけないと思いました。 私と同じくらい、それよりももっと幼く、まだまだこれから楽しく希望を持って生きるはずだった子どもたちが、その命をもって現在を生きる私たちに伝えてくれたことを受け止め、これからの世界を担う一人の同じ人間として何が出来るのかをもう一度考えさせられました。 

 

 

正しい歴史を学ばない者は、暗い歴史をのこす。 

 

 

収容所の辛さがよく分かり、その中で楽しさを見つけたという話はいい話だと思った。 

 

 

今まで、そんなに詳しくは知らなかったけど、殺されるまでに働かされていたり、名前ではなく番号がつけられていたり、思い出に三段ベッドがでてくるくらい支配されていたと思うと、今の自分がどれだけ幸せなのか。その頃の子どもたちが、どれだけつらい想いをしていたのかが分かった。 

 

 

ユダヤ人はユダヤ人に生まれただけなのに、ドイツ人につかまり、テレジンの収容所に入れられたことでも屈辱だけど、そこで慣れない労働をさせられたり、少し立ち話をしているだけなのに強く怒られたりすることは、とてもかわいそうだと思いました。生き残った100人の人々は嬉しいと同時に、悲しみも大きかったと思いました。二度とこういうことが起こらないことを願っています。 

 

 

戦争のときの収容所の話は余り詳しく知らなかったから衝撃だった。残酷な現実があったことをしっかりと心に留めて、二度と起こさない様にする努力が必要だなと思った。 

 

 

どんな状況でも希望を捨てず、絵を描いていた子どもたちは凄いと思いました。これからも、この活動を続けて、一人でも多くの人にこのことを知ってほしいです。 

 

 

死を目前にした苦しみの中で、楽しみを見つけ生きようとしていた子どもたち。ついつい絵の中にも食べたい物がでてきてしまう。そういうまだ弱く小さい子どもたちを導いた大人たちは凄いなと思います。この悲劇は繰り返してはならないと思いました。 

 

 

物が少ない中、自分の髪を使ってまで、絵を完成させるということに驚いた。 

 

 

テレジンの子どもたちの絵を見て、これから未来が無限に広がっていく中で、こんなに苦しまれていたことを考えても考えきれませんでした。今生きていることに感謝して一日一日を大切に、精一杯生きていきたいです。 

 

 

残酷だった。 

 

 

子どもたちの絵には、心にとらえられた残酷な現実が、そのまま映し出されていました。戦争とはどういうことなのか真剣に考える機会が持てました。 

 

 

子どもなのに自分の置かれている状況に悲観し、昔を懐かしむというのは悲しいことだと思った。二度と繰り返さない様にする。 

 

 

ナチス収容所に入れられたユダヤ人の子どもたちが、きつい労働を受けながら、あのような絵や詩を描かせてあげようと、命がけで材料を集めた大人たちが凄いと思いました。 

 

 

本などがあり、みんな痩せ細っていて、死体の山を見るととても残酷だなと思いました。 今 べんきょうできる環境に感謝して生きていきたいです。 

 

 

今回展示された絵を見て、収容所の子どもたちの苦しみを感じることが出来ました。またフリードル先生の活動も素晴らしいなと思いました。私はまだユダヤ人が収容されたことについて、まだ詳しく知らないので、また何かの機会があれば調べてみたいなと思いました。今回の経験で、私たちの今ある暮らしは幸せだなと思いました。 

 

 

テレジンの子どもたちは、とても苦しい場所にいたのに楽しい思い出を描いていてすごいと思いました。自分より小さい子も多く、私なら耐えきれないと思います。もう二度と、このような収容所を作って殺すことをしてはいけないと強く思いました。この絵を見る機会があっていい経験になりました。 

 

 

自分よりも小さな子どもたちが、とても残酷な生活を強いられていたということが強く伝わってきました。もう二度とこんなことが繰り返されてはいけないなと思いました。 

 

 

過酷な労働、そしてちゃんとした食料ももらえない厳しい状況の中で,描かれた絵なのに、なにか子どもたちの力強さというものを感じました。 

 

 

絵の下に「◯◯年 アウシュヴィッツ行き」というのが1つ1つありました。その中にも、まだ生きている人がいました。生きている人がいる!! いるいる!! て驚いて話し合うくらいびっくりしたし、その一人の存在が絵を見ていく中で、また喜びにもなりました。 やはり遊園地というのは、どこの国でも楽しくて思い出になる所なんだなと思いました。 

 

 

自分は感じたことがない、想像することさえできない痛みや悲しみをテレジンの子どもたちは毎日味わっていたことを、子どもの絵から感じて心が痛くなりました。テレジンの子どもたちの絵を見て、ただ心を痛めるだけじゃなくて、今私たちができることは何だろうと考えたいと思います。皆一人一人が、そういうことに対する意識を持ったら、このようなことは二度と起こらないのかなと思いました。 

 

 

今回初めて作品を見て、とてもショックでした。親と引き離され、今の日本では考えられないようなことでした。暗い作品の中でも、一番楽しかった思い出の絵が描かれていて、親と離されても楽しかった思い出があると分かって、よりいっそう心が痛みました。 

 

 

描いた人たちが、どんなにつらい思いをしていることが分かりました。現実をありのまま描かれていたので少し驚きました。 

 

 

1つ、なんか怖いのがあったけれど、だいたい自分の故郷とか楽しいことをテーマにしていたのを見て、なんだか悲しいような気分になった。