「言葉の混乱」としてのアウシュヴィッツ プリーモ・レーヴィを例に:古矢晋一

「アウシュヴィッツ」の体験を「言葉」によって表現し、伝達することは可能か。アウシュヴィッツの生還者たちの多くがこの問いに直面した。しかしそもそもアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所においてはどのような言語が話されていたのだろうか。

アウシュヴィッツでは「支配者の言語」であるドイツ語以外に、ヨーロッパ各地から連行されたユダヤ人がそれぞれの母語を使用していた。そこでは共通の言語はなく、言葉の理解は容易ではなかった。特にドイツ語をよく解さない、非ドイツ語圏出身のユダヤ人にとって、アウシュヴィッツの言語状況はまさに「言葉の混乱」(プリーモ・レーヴィ)以外の何物でもなかった。

本発表では、イタリア系ユダヤ人の生還者プリーモ・レーヴィの手記『アウシュヴィッツは終わらない』(1947年)および『休戦』(1963年)、また他の生還者たちの体験記を例に、被収容者がアウシュヴィッツにおける「言葉の混乱」をどのように受け止めたのか、そしてアウシュヴィッツの言語状況が生還者にどのような影響を与えたのかを検討する。