見て 知って 書いてほしい~11月5日 さいたま文学館・秋の集いによせて~

「アウシュヴィッツへ行く」と言うと嫌な顔をされることがある。「ああいうものは見たくないのよ」と言われるのだ。確かに見て楽しいものではない、私だって好きなわけではない。だが、あるのだ―70年以上経ってはいるが、その事実は、存在は、消えていないのだ。だとしたら、見ておかなければならない…私が目をつぶったってなくなるものでないなら、きちんと目を開いて見ておかなければならない…そこでの生活を強いられていた人の、本当は忘れてしまいたい記憶を聞いてしまった日から、私は、そう心に決めて生きてきた。

一人で行くことも多かったが、十年ほど前から、私の活動を支援してくれている仲間や友人が同行することが増えた。多くの人が同世代だ。ヒロシマの被爆者もいれば、東京大空襲の火炎の中を逃げた人、機銃掃射をしてくるアメリカ兵の顔を見たと言う人、みな幼かったとはいえ戦争の記憶を持っている人だ。「死ぬ前に一度は見ておかなければ」と言った人がいた。「戦争の惨禍を語り伝えるためにも、現場に立たねば」と。

今回の旅には、文芸家集団の中原道夫(夫妻)、金子玲さんを含め16人が参加してくれた。金子さんは、数年前のツアーに続き二度目、前回は、大学生の娘さん同行の今井恵子さんもいた。

 

 

「アウシュヴィッツは一つではない、犠牲になったのはユダヤ人だけではない」と、私は講演会などで語る。

1939年、ナチスドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦がはじまり、45年春、ヒトラーが自殺し、ドイツが無条件降伏するまでの間に、人を殺すために作られた施設は、アウシュヴィッツだけではなかった。収容所といわれる施設は、ヨーロッパ各地に、小規模なものも入れると、数千カ所もあった。また、国の政策として1100万のユダヤ人を絶滅させようとしたのは事実だが、同じドイツ国民でも、反ナチス、反ヒトラーの人、心身障害者(児)、同性愛者などはみな殺されたし、ポーランドでは、政治指導者や知識階級、聖職者たちも「絶滅」の対象だったのだ。

独りよがりの規制に基づく差別・憎悪、自国を世界最大・最強にしたいと願う野望、目先の旨そうな餌に惹かれて自制心を失い付和雷同してしまう人々…さまざまなことが、それぞれ専門家と称する人の手で書かれ、語られている。ずいぶん多くのの本を読んだ。講演やシンポジウムにも出かけた。でも、分からない…なぜ、どうしてこんなことが…?という私の疑問には、今も答えは得られていない。

 

ただ、私は少しだけ知っている――

あそこの寒さ(45年1月、解放された日のアウシュヴィッツの気温はマイナス27度だったという)を感じたくて、わざわざ吹雪の朝にそこを訪れたり、積雪の中を歩きまわったりした。

人の尊厳を傷つけた行為の証である、並んで決められた時間内しか排泄できないトイレ、女性たちの頭をそり上げた髪の毛の山、安らかな眠りさえ許さなかった粗末な木の三段ベッド、さまざまな拷問や処罰の道具を見た。そして、腕に数字の入れ墨の残る生き残った人にも会った。彼らの口から事実を聞いた。

そこで行われていた大量殺戮の事実は、今も残るガス室や死体を焼く焼却炉を見、「遺された品」という金歯や眼鏡や靴や衣服を見ればわかる。そして、春に生えて来る草の芽を摘むと、その根には、砕いて撒かれた人骨の欠片がついてくるのも自分の目で見た。

「あのころの私たちの空腹は、今、貴女がいう空腹(hungry)という言葉では表現できない」と、生き残りの女性から言われたことがある。彼女の空腹を実感するのは難しかったが、一度に小さなサンドイッチ2切れしか食べず、「育ち盛りを飢えて過ごした生き残りの人はみなそうよ」と言った彼女が、続けて語ってくれた話は、飢餓というものの事実を教えてくれた。アウシュヴィッツからベルゲン・ベルゼンへの「死の行進」を生きぬいた彼女の母親は、救出されてから、与えられた肉の缶詰を食べて死んだのだという。生き残っていた人々の多くが、解放直後に、「助けようとして与えられた」食物で命を落としたという事実は、写真で見る収容者のやせ衰えた写真とともに、人間の体の極限状態を考えさせてくれた。

 

――それを知ったから、伝えなければならないと、私は自分に課してきたのだ。

アウシュヴィッツはもちろん、ヒロシマやナガサキ、そして最近の災害や内戦、爆撃、さまざまな惨状の場で、「言葉を失った」と言う人が多い。でも、私たち文芸に携わる人間が、そこで言葉を失っていてはいけないと思う。つらくても、悲しくても、実際にあったことなら、見なければいけないし、見たら、知ったら、語り、書かねばならないと。

幸い、今回の旅の参加者はみなが感想を文字にし、80ページもの文集ができた。彼らは、今後もずっと、それぞれの場で語り、書き続けてくれるだろう。

 

駐日ポーランド大使はいつも、アウシュヴィッツを「想像を絶することが起こった場所だ」と言う。「でも、見てほしい。実感してほしい…そのために、そのままの姿で残しているのです。そこに立って、感じたこと、知ったことを後世の人に伝え、もう二度とこんなひどいことが起こらないようにしなければならないと思います」と―。

 

野村 路子

 

11月5日(土):埼玉文芸 秋の集い「アウシュヴィッツへの旅から」開催

画像をクリックすると拡大で御覧いただけます。
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さいたま文学館にて、埼玉文芸 秋の集い「アウシュヴィッツへの旅から」を開催いたします。

日時:11月5日(土)11時30分~16時

会場:さいたま文学館(JR高崎線・桶川駅 徒歩5分)

第一部では、テレジンを語り継ぐ会・代表 野村路子が、今年3月に行ったテレジン、アウシュヴィッツの旅の報告を兼ねた内容をトークショー。

第二部では、私たちが続けているコンサート「テレジン もう蝶々はいない」の一部の歌をお聞かせします。