![日経新聞(2018年7月28日夕刊)※クリックすると拡大で御覧いただきます](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=192x1024:format=jpg/path/sf6d4cb50aa1c3613/image/i8c86887af1566d74/version/1533026319/%E6%97%A5%E7%B5%8C%E6%96%B0%E8%81%9E-2018%E5%B9%B47%E6%9C%8828%E6%97%A5%E5%A4%95%E5%88%8A-%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%A8%E6%8B%A1%E5%A4%A7%E3%81%A7%E5%BE%A1%E8%A6%A7%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99.jpg)
記事中にある、当時の安田火災海上保険KKの支援のきっかけは、1990年8月に、野村が日経新聞文化欄に書いた『収容所の幼き画家たち』という随想だったのです。
まだ社会主義国だったポーランド・チェコ・ハンガリーを訪ねる旅をして、プラハの小さな博物館で出会った子どもの絵、普通の子どもが描くような、明るく、生き生きした美しい絵――それが収容所で描かれたものだということ、そして、描いた子どもたちのほとんどが、その後、間もなく、アウシュヴィッツのガス室で幼い命を断たれていたのだということを知った衝撃。限られた短い時間でもいい、子どもたちにもう一度、目を輝かせ、笑顔になる時間を与えたいと命がけで立ち上がり、絵を教えた画家がいたことを知った感動。どうしても、この絵を日本の多くの人に見せたい、見せなければならないという思いで書いた野村の随想を読まれた、同社の当時の社長が心を動かされて支援を申し出て下さったという経緯があるのです。
あれから27年、当時の記事を読んでいない記者が、はじめて見たテレジンの子どもたちの絵。彼の感動が伝わってくるコラムを書いていただきました。