テレジン通信:バックナンバー

テレジンを語りつぐ会の皆さまへ【5月会のご連絡】 2011.04.26

あの地震から一ヶ月半が過ぎました。少しずつ復興の方向へ向かっているとは言っても、まだまだ被災者の方たちの不自由な避難所暮らしは続いています。原発の周辺の方たちは、自分の家へ戻ることさえ許されない状況、胸が痛みます。石巻、仙台ともに、91年の『テレジン収容所の幼い画家たち展』を開いたところ。たくさんの友人がいましたが、連絡が取れて無事を喜ぶと同時に、その方から悲しい知らせを受け取ることになりました。私が以前に作っていた雑誌の「石巻特集」のグラビア・ページを添付します。この風景がすべて消えてしまったのだそうです。

 三月末のプラハ行きでは、イスラエルから来たディタ・クラウスと連日お会いして、いろいろお話をしてきました。新しく出す本に盛り込める話題も多く、これから頑張って書きます。 
プラハ行きの前に、みなさまに『テレジンを語りつぐ会』で被災地の子どもたちに画用紙や絵の具を届け、フリードル先生のように、子どもたちに明日への希望と、生きていて良かったという思いを伝えたいとお伝えしました。その後もいろいろな方と相談しています。

仙台に住む画家の前田優光さんは、現地へ行きたいとおっしゃってくださいました。新幹線も開通し、私たちが行ける可能性も出てきたようですが、昨日、石巻の友人から電話があり、現地はまだまだ大変なようです。

彼の家は高台にあるため流されずにすんだのですが、ライフラインが復旧したのはつい2.3日前「やっと風呂に入れた」とのこと。瓦礫を脇に寄せ、何とか通行できるようになった道も、雨が降るとまたヘドロが流れ出し、晴れた日は、そのヘドロが乾いて風に舞うすごい埃。港の近くは1メートルも地盤沈下しているので、満潮時には海水が町に流れ込むのだそうです。

「現地に来るには、かなりの覚悟がいるよ。若いボランティアの人は頑張っているけれど、宿泊場所もない、食料・水は自分で用意しないといけないし・・・急がなくていい、まだまだ落ち着くには時間が必要だから」と、彼は言っていました。「もう少し落ち着いたら来てくれ、生徒180人のうち、30人しか助からなかった学校、昨日の終業式には25人しかいなかった学校へ一緒に行ってくれ」と大人も子どもも今はまだ緊張状態が続いていて、何とか持ちこたえているようですが、時間がたち、落ち着きを取り戻したときに、家族や友人、家や学校や職場を失った喪失感におそわれるでしょう。

ホロコーストの生き残りの方たちが、「自分だけが助かってしまった」という罪悪感のようなものを抱き続けるように、これからが、精神的につらい日々になるのだろうと思います。友人も、「その時に、テレジンの話をして、一人ひとりに“生きていて良かったんだよ”と言ってあげて欲しい」と言っていました。 

原発の近くから避難した方たちが、埼玉県加須市の学校で生活しています。そこなら、周りに迷惑をかけずに行くことができます。まず、そこからはじめようかと思います。私たちがフリードル先生になりたいと思います。 

5月5日(金)にコンサートをします。ここで義援金を集めさせていただき、それで画用紙やクレヨンを購入したいと考えています。当日、コンサート終了後に、「語りつぐ会」例会として、皆さまとご相談したいと思いますので、ぜひお出かけください。もちろん、片方しか参加できないという方はどちらかでも結構です。 

『テレジン もう蝶々はいない』をはじめる時からの相談相手で、各地での公演のプロデュースをしてくれていた松村 黎さんが亡くなりました。昨年秋に会ったときに、「少し疲れた、そろそろ誰かに…」と言った私を「何を言ってるの? テレジンに命をかけてるんじゃないの?」と、いつものように激しく怒った彼女がいなくなってしまった…昨夏の江坂さんにつづいてまた一人、と思うと、心が挫けそうになります。

 

テレジンを語りつぐ会代表   野村 路子

 

テレジンを語りつぐ会の皆さまへ 2011.03.21

想像もしていなかった大きな地震、津波、そして原発の事故。それにともなって計画停電や電車の運休と、私たちの日常生活も少し落ち着かないものになっていますが、皆さまにはお変わりなくお過ごしでしょうか。

 

被災地の情報を見るたびに胸が痛みます。そして、何をしてあげられるのか考えています。

91年の『テレジン収容所の幼い画家たち展』全国巡回のとき、東北地方は、石巻・仙台・花巻で開催しています。

とくに、石巻は、それ以前に私個人の仕事で約1年通い続けたところで、そのときの関係者が中心になって展覧会開催ということになり、その後もずっとおつき合いしている人がたくさんいます。覚えている方もいらっしゃるでしょうか。一昨年の文京シビックのコンサートのとき、「久しぶりに、あの子たちの絵を見たくて…」と、準備中の会場に一番乗りで来てくださったのは、石巻の方だったのです。

仙台は、子どもたちの自由な創造力を伸ばそうと“Be I” という絵画教室を開いていた方が市民グループに呼びかけての開催で、彼女の教室の子どもたちがおおぜいみにきてくれました。

 

早速、皆さんに電話をしているのですが、今のところ連絡がついていません。きっと無事でいてくださると信じて、連絡がつくようになる日を待っているところです。まず繋がるべきは家族・親戚が大事でしょうから、電話を控えることも必要かと思っています。

 

 

ところで、昨年の朝日新聞の記事を見て「協力したい」とメールを下さった一人が、仙台市に住む画家の方でした。カンパの振込みがあり、その後、プラハの美しい風景などを描いたガ集を送っていただきました。その方とは、やっと連絡がつきました。家もご家族も無事、ガソリンがなくて買い物に不自由しているけど、元気ですというメールが届きました。

 

実は、以前、阪神淡路の震災のとき、私は、神戸市内で書店を営む方を通して、画用紙とクレヨン、絵の具を現地に送りました。個人でしたので、それほど大量ではなかったのですが、その方の知人がやっていた絵画教室や避難場所に届けていただいて、とても喜んでいただきました。それが、きっかけで数年後に震災復興記念施設で、テレジンの展覧会、講演会が開かれ、今また、その時の関係者から今年11月の学校での講演会依頼が来ているのです。


今回も、テレビの報道で子どもたちの様子を見たり、新聞で読んだりして、せめて絵を描く時間を…と願っています。ただ、今回は地域が広く、交通が途絶しているため、個人で物を送ることが困難です。先に書いた画家の方(前田優光さんといいます)とご相談して、もう少し落ち着いて、彼が動けるようになったら、(彼の元に宅配便が届くようになって)、彼に「フリードル先生になってください」とお願いしています。そのときには、また皆さまにもご協力をお願いしたいと思っています。 

 

 

その前に、私はプラハへ行ってきます。停電や空港までの交通事情などを考えて、躊躇していたのですが、「こんな時だから、テレジンに灯った明るい光の存在を知らせることも必要です。私は、あの子たちのことを考えて頑張れたのです」と言ってくださった神戸の方の言葉が後押ししてくれました。

 

プラハの博物館で、テレジンのこと、子どもたちのこと、フリードル・ディッカーのことを知ったとき、わたしのできることは、知ったことを伝える仕事だと思ったのですが、今もまた同じように考えています。

テレジン、アウシュヴィッツを生きて、親も兄弟も親戚も失った子どもたちの深い心の傷……

それを癒してくれたのは何だったのか。生きる力になったのは何だったのか。

イスラエルからプラハへ行くから会おう!と待っていてくれるディタ、プラハに住むラーヤ、ヘルガに会って話をする中で、何か見つけてきたいと思っています。

 

悲しいけれど、肉体的に、被災者へのボランティア活動に参加することは無理です。

悔しいけれど、大きな義捐金を出す力はありません。

淋しいけれど、組織を立ち上げるほどのエネルギーはありません。……

 

テレジン展を開きたくて、プラハのユダヤ博物館へ交渉に行ったとき、私は「私にはお金も、力も、組織もありません」と何度も何度も言ったのを覚えています。「たった一つできることは、知ったことを伝えること、それをしたいのです」と。

 

今も、そんな気持です。

何か、私の力が生かせるところ、それを探す旅かも知れませんが、行ってきます。

29日に出発、4月4日に帰国予定です。
それまで、皆さまもどうぞ健康に留意なさってお過ごしくださいませ。

 

野村 路子

 

 

テレジンを語りつぐ会2月例会&第6回さいたま輝き荻野吟子賞受賞を共に喜ぶ会

この度、野村路子が、埼玉県が制定する「第6回 輝き 荻野吟子賞」を受賞しました。

 

明治時代に、まだ女性に門戸が開かれていなかった医学の道を志し、さまざまな困難を克服して、日本の女医第1号となり、その後の活動で、女性の地位向上に貢献した荻野吟子(埼玉県熊谷市出身)にちなんだ賞で、長い間、テレジンの事実を伝える活動を続けてきたことが授賞対象になっています。


2月4日の授賞式には、「テレジンを語りつぐ会」から、埼玉に住む岡部俊六、城口順二、金子玲をはじめ、1991年の『テレジン収容所の幼い画家たち展』実行委員だった仲間、野村の仕事仲間でテレジンの活動を応援している人たち、そして、野村の著書『テレジン収容所の幼い画家たち・詩人たち』を出版しているルックの林さち子らが出席しました。

 

野村は「テレジンの活動がこれまで続けてこられたのは、たくさんの協力者、支援者、仲間のおかげ。この授賞は、私個人に対してではなく、皆さんのもの」と言っています。

2月の「語りつぐ会」例会は、皆さんで共に喜ぶ会にしたいと思います。

 

◆2月例会 : 2011年2月27日(日)  p.m.2:00〰6:00  

 銀座文化サロン  「みんなで喜ぶ会」 会費 4000円

2月例会のご報告

1月の例会が開けず、2011年はじめての会合になりました。

遅ればせの新年会と、野村の「荻野吟子賞」受賞を、皆さんと一緒に喜びましょうという会になり、会の経過報告と活動予定の発表につづいて、ワインで乾杯。その後は、『テレジン もう蝶々はいない』の出演者(中村ヨシミツ、西山琴恵、三原ミユキ)により、ミニ・コンサート。以前から、「何か歌を覚えたい」という希望もあったので、フランティセック・バスの詩をもとにした『庭』をみんなで歌い、美味しい料理をいただきながら、楽しく歓談の時間を持ちました。

出演者3人から、当日の会費分を「会」へのカンパとしていただきました。ありがとうございます。早速、口座に入金しました。

例会での報告事項  

① 1月27日、ホロコースト・デイにイスラエル大使館主催のレセプションがあり、杉原千畝にかかわる、福井県敦賀市、岐阜県八百津町の代表の方とお会いしました。

杉原が書いた「命のビザ」でヨーロッパから逃れたユダヤ人たちが、ウラジオストックから船で到着したのが福井県敦賀市。今、そこには「人道の港ムゼウム」があります。八百津町は、杉原の生地で、「人道の丘公園」があり、ゆかりの品、資料などが展示されています。

来賓の八百津町の町長、赤塚新吾さんのご挨拶が「杉原千畝の行動を通して、今、子どもたちに命の大切さ、人への優しさを伝えて生きたい」という言葉に同感!

出席されていた竹内新子さんのご紹介で、ご挨拶し、テレジンのことをお話しすることができました。(その後、野村から資料を送り、町長さんからは、「ぜひ八百津町でテレジン展を」というお手紙をいただきました。)いつか、敦賀と八百津町をまわるツアーをしたいですね。

 

② 静岡の小学校の先生から、「朝日新聞で教科書のことを知り、今、担任している6年生の最後の授業にぜひ、テレジンを取り上げたい」という申し入れがありました。まだ使用されていない教科書(23年度の後期から)を使うということでしたが、出版社の学校図書株式会社が快諾、生徒にはコピーを使っての授業をするそうです。 

(この後、牧の原市立細江小学校の寺尾先生から電話があり、資料を提供、さらに平和資料館からパネルの貸し出しを受けて。3学期の国語の授業をすべてテレジンで行い、生徒たちは意見交換、レポート作成など熱心に取り組んだとご報告がありました。卒業式に向けて、野村からメッセージを送り、生徒たちからの手紙が送られてきました。)  

ぜひ、次の例会でお目にかけましょう。

 

③ つくば市の展覧会に向けて、野村の著書『15000人のアンネ・フランク』の読書会を開くなど、準備が進んでいます。展覧会は、10月18日~23日。つくば美術館――これは、1991年のつくば展と同じ日、同じ場所です。1991年に「ぜひ開催したい」と手紙を下さった寺島圀子さんとも、20年過ぎてまたお会いできそうです。つくば展には、ぜひ皆さんにも協力していただきたいと思います。 

 

④ 新しいホームページを開くための準備が進んでいます。ピクサ・コミュニケーションズの石田えり子さんに依頼して、よりよいものにしたいと思っています。次回例会でお目にかけることができるよう頑張ります。  

⑤ 91年の『テレジン収容所の幼い画家たち展』から、20年過ぎました。記念展を開きたいと思っています。次回の例会でご相談しましょう!

 

2011年2月22日 朝日新聞埼玉版 「命の尊さ知って欲しい」

2011年2月22日 朝日新聞
2011年2月22日 朝日新聞

ナチス収容所の子どもに絵教えた芸術家の生涯

 

絵を紹介し20年 川越の野村さん 出版に向け執筆中

ナチス・ドイツの強制収容所で子どもたちが描いた絵を、川越市に住む作家・エッセイストの野村路子さん(74)が日本に紹介して20年になる。収容所の中でひそかに絵を教え、生きる希望を持たせた女性芸術家についての本を今年出版しようと、執筆に力を入れている。(朝日新聞より抜粋)

 

◎詳細は朝日コムでご覧いただけます

※画像をクリックすると拡大でご覧いただけます

 

<第6回さいたま輝き荻野吟子賞>テレジンを語りつぐ会代表・野村路子氏が受賞

埼玉県では、本県出身で日本最初の公認女性医師となった「荻野吟子」にちなみ、「さいたま輝き荻野吟子賞」を設けて、新たな分野に果敢に挑戦し、荻野吟子の不屈の精神を受け継ぐ先駆的な活動に取り組むなど、男女共同参画の推進に多大な貢献のある個人や団体、事業所を顕彰しています。
平成17年度の本賞の創設以来6回目を迎えた本年度は、23件の応募の中から、<テレジンを語りつぐ会>代表・野村路子氏が<個人の部>を受賞しました。

 

 

受賞者 : 野村 路子(のむら・みちこ) 氏
受賞理由

タウン誌編集長として埼玉県内の取材を続け、「くらしの風土記 埼玉」を出版。1991年、チェコのユダヤ人収容所の子どもたちの描いた絵の展覧会を日本ではじめて開催。以来、全国各地で、戦争や差別のもたらす悲劇、命の大切さ、生きる力を伝える講演会・コンサートなどを行い、著書多数。さいたま市の男女共同参画推進協議会委員としての活動歴も長い(さいたま市在住)

 

◎第6回さいたま輝き荻野吟子賞 詳細はこちらから→

第6回さいたま輝き輝き荻野吟子賞・受賞者記念写真
第6回さいたま輝き輝き荻野吟子賞表彰式

さいたま輝き荻野吟子賞 表彰式

日時:平成23年2月4日(金) 13:30~14:20
会場:ホテルブリランテ武蔵野  2階 サファイア 

   (埼玉県さいたま市中央区新都心2-2)

 

平成23年2月4日(金)~6日(日)まで、ホテルブリランテ武蔵野に併設されている 埼玉県男女共同参画推進センターにて、さいたま輝き荻野吟子賞表彰式に合わせ『WithYou さいたま フェスティバル』を開催しております。

2011年1月11日 茨城新聞 「ユダヤ人収容所の子の絵画展」

2011年1月11日 茨城新聞
2011年1月11日 茨城新聞

描かせ希望持たす

 

野村路子さん つくばで講演 画家の挑戦紹介

「テレジン収容所の小さな画家たち詩人たち アウシュビッツに消えた15000人の小さな生命」の著者でエッセイストの野村路子さんが昨年12月、つくば市吾妻のつくばサイエンス・インフォメーションセンターで講演し、生存者がわずか約100人という極限状態の中で絵を描かせることで子どもたちに希望を持たせた大人たちの努力を紹介。野村さんは「そこにいたら何ができただろうか。私にそれができただろうか。できないだろうな」と自問しながら、その意義を聴衆に問い掛けた。会場では約80人の市民が熱心に耳を傾けた。(茨城新聞より抜粋) 

※画像をクリックすると拡大でご覧いただけます

 

<テレジンを語る会いばらき>が発足しました

「テレジンを語る会いばらき」発足のつどい 

野村路子講演会
「テレジンからの命のメッセージ ~アウシュヴィッツに消えた子どもたち~」

日時 : 12月19日(日) 午前10:30~12:00
場所 : つくばサイエンス・インフォメーションセンター 大会議室
     (つくば市吾妻1-10-1 つくばバスターミナル、つくばTX駅A3A4出口より徒歩すぐ。)
講師 : 野村 路子 氏(テレジンを語りつぐ会 代表)

野村路子講演会 つくばサイエンス・インフォメーションセンター
野村路子講演会 つくばサイエンス・インフォメーションセンター(画像をクリックすると拡大でご覧いただけます)

概要 : 第二次世界大戦下、チェコのテレジンにナチス・ドイツによって作られた強制収容所があり、15,000人の子どもたちがいました。戦後、子どもたちが描いた4,000枚の絵が発見されました。過酷な状況の中、子どもたちの命の輝きを支え、寄り添い、そして共に消えていった大人たちがいたのです。
費用:資料代500円(高校生以下無料)(講演会終了後の昼食・交流会に参加の場合は、別途、昼食代1,000円必要、12月16日までに要申込)
主催:テレジンを語る会いばらき
後援:茨城県、つくば市、土浦市 他

 

☆講演会後の昼食・交流会に参加される方は事前の申込が必要です。

12月16日(木)までに、下記お問い合わせにご連絡下さい。

お問い合せ<テレジンを語る会いばらき>
TEL : 029-823-3484(関谷)、029-856-2286(長田)

 

2010年メディア情報:「テレジン 命のメッセージ」がメディアに掲載されました

2010年11月26日 埼玉新聞

2010年11月26日 埼玉新聞
2010年11月26日 埼玉新聞

テレジンの子どもたちの絵画

 

川越の野村さんパネル寄贈

第二時世界大戦中にチェコのテレジン収容所で子どもたちが描いた絵画のパネル展示「フリードルと小さな画家たち」28日まで、東松山市岩殿の県平和資料館で開かれている。(埼玉新聞より抜粋)

※画像をクリックすると拡大でご覧いただけます

2010年11月17日 朝日小学生新聞

2010年11月17日朝日小学生新聞
2010年11月17日朝日小学生新聞

「もっと行きたい」叫びの絵

ナチス収容所の子どもたちの夢、教科書に

 

作家の野村さん 21年前に出会い歴史追う

第二次世界大戦中、東ヨーロッパの「テレジン収容所」に閉じ込められていた子どもたちがいます。ナチスドイツによってほとんどが殺されましたが、収容所には子どもたちの描いた絵や詩が遺されていました。平和について考えてもらおうと、こうした歴史が2011年度の教科書に登場することになりました。(朝日小学生新聞より抜粋)

※画像をクリックすると拡大でご覧いただけます

2010年10月25日 朝日新聞

2010年10月25日 朝日新聞
2010年10月25日 朝日新聞

ナチス収容所の子らが描いた絵

命のメッセージ、教会書に

 

「生きる喜び」再生の物語

かつて東欧にテレジンという収容所があったことをしっていますか。第2次世界大戦中、1万5千人の子どもたちが収容されていましたが、ほとんどはアウシュビッツ収容所に送られ、ガス室で殺されました。その後、収容所で、彼らの描いた約4千枚の絵が見つかります。なぜ、子どもたちは絵を描いたのでしょうか。この絵にまつわるお話が今度、小学校の教科書に載ることになりました。(朝日新聞より抜粋)

※画像をクリックすると拡大でご覧いただけます